Wednesday, November 30, 2005

この傾向の中には、もとより健全さが在る。なみなみならぬ犠牲をはらって到達しつつある歴史の成育の過程として高く評価されるべきものがある。そこに輝やかしきものの源泉があることは当然であるが、それが泉であればあるほど、泉の周囲に生える毒草や飛びこむ害虫がとりのぞかれなければならないのも当然であるまいか。 大衆、民衆というものを、感傷的に一般化して気分的にその現実、日常性との結合という風に考えることには、幾多の危険がある。 昨年ごろからヒューマニズムの声があり、遅々として発展の困難を示しているが、日本におけるこのヒューマニズムの理解、把握の内部には、さきに述べたような要因と並んで封建時代の文学を支配していた人情、自己放棄の陶酔感などの尾が脈々と絡みついていて、一層混乱に陥っている有様である。